昭和史の重箱の片隅 熱海 興亜観音 [旅]
9月のことですが、熱海に素焼きの観音像があるというので、盆栽SRで行ってみた。
礼拝山 興亜観音
http://www.koakannon.org/raihaizan.html
※ある書では神社とされていますが、南無妙法蓮華経の
法華宗の「お寺」です。
R135を南下して神奈川・静岡の県境を越えて、湯河原と熱海のちょうど中間点か、
陸側伊豆山の中腹にある。国道から山に分岐して、細い急傾斜の私道を暫く登る。
傾斜が緩んだコンクリート舗装が切れるとこで車道は終わり、
ジグザクに切られた参道を徒歩で登ること5分ほど
1丈高くらいでしょうか赤銅色の素焼きの観音像が急斜面の岩場上に鎮座しています。
1940年、日中戦争当時、中支那に派遣された陸軍の司令官であった
陸軍大将 松井石根(まついいわね)さんが退役後、
日本の将兵のみならず、中国側犠牲者も平等に弔う為、
発願建立した観音像とのこと。
その素焼きの土は、激戦の地中国大陸江南地方の土を運ばせ、
日本国内の土とあわせて焼いたものと言われる。
観音像の右の岩には、松井石根大将自筆の「興亜観音縁起」の銅板が嵌め込まれている。
そこから5mほど右に行くと
ここには、歴史上のトンデモナイものが埋葬されている。
・七士之碑
・大東亜戦争殉国刑死一〇六八柱供養碑
・大東亜戦争戦没戦士菩提
所謂「A級戦犯」として処刑された七名の遺骨が埋葬されている。
※陸軍大将松井石根は東京裁判でA級戦犯容疑で起訴されて有罪判決を受けたが、「a項-平和に対する罪」では無罪であり、訴因第55項戦時国際法又は慣習法に対する違反罪。で有罪となったため、実際にはB級戦犯(BC級戦犯参照)である。 (wikipediaから)
1948年12月23日 巣鴨にて絞首刑とされた7人の遺体は横浜に運ばれ、
久保山火葬場にて荼毘に付された。
※久保山火葬場 WEB上で横浜郊外と記載された記事があるが
久保山は横浜市西区 横浜のど真ん中です。
ウチのお墓も久保山にあり、親族はここで火葬にされてます。
遺骨の類は遺族には引き渡されず、
東京湾に破棄されたと言われている。
遺物があると偶像崇拝の懸念があるためだろうか
近年のアルカイダ ウサマビン・ラディンも遺体は人知れず処分されています。
これが合衆国の伝統でしょうね
火葬に付したのち遺骨を入れ物に納める際、
大雑把な合衆国の兵隊のこと、遺骨の細かいものは納めず
火葬場の廃棄処理穴に捨てられたようであった。
これを見逃さなかったのが、火葬場の場長と弁護人関係者は捨てられた遺骨の残滓を
闇夜に紛れ収集して、暫くの間隠匿し
この伊豆の地、七士之碑のもとにに埋葬されたとのことです。
※私の疑問、7人の遺体は何故、巣鴨プリズン(今のサンシャイン60)から、
遠く離れた横浜久保山火葬場まで移送したのか、
都内で火葬できなかったのかな
解る方いれば教えていただきたいものです。
横浜港なら船がすぐ出せて、海に廃棄し易いからかな、
合衆国には骨壷だとかはなさそうなんで、代わりとなるのはアーモ缶ぐらいか
どうせ米兵のことだから、東京湾まで出て行かず、
横浜港のハズレのほうに投げこんだかもしれない。
そうすっと、金属探知機で発見出来るかのもしれない
9月のまだ暑かった頃、私が山を登って行くと、
ひょっこりと年配の尼僧が現れ、由来をガイドよろしく説明してくれました。
またお堂に案内され、寺務所で麦茶まで出していただいました。
盆栽SRで熱海まで行ったんですが、
バイクの画像無し、美味いもの無し、
全くピストンだけのツアーでした。
最後に、素焼きの観音像 昭和史 地元の久保山火葬場を
結び付けた書籍 デービット・バーガーミニ著
「JAPAN'S IMPRIARL CONSPIRAY」(天皇の陰謀)
翻訳書は既に絶版となってます。
礼拝山 興亜観音
http://www.koakannon.org/raihaizan.html
※ある書では神社とされていますが、南無妙法蓮華経の
法華宗の「お寺」です。
R135を南下して神奈川・静岡の県境を越えて、湯河原と熱海のちょうど中間点か、
陸側伊豆山の中腹にある。国道から山に分岐して、細い急傾斜の私道を暫く登る。
傾斜が緩んだコンクリート舗装が切れるとこで車道は終わり、
ジグザクに切られた参道を徒歩で登ること5分ほど
1丈高くらいでしょうか赤銅色の素焼きの観音像が急斜面の岩場上に鎮座しています。
1940年、日中戦争当時、中支那に派遣された陸軍の司令官であった
陸軍大将 松井石根(まついいわね)さんが退役後、
日本の将兵のみならず、中国側犠牲者も平等に弔う為、
発願建立した観音像とのこと。
その素焼きの土は、激戦の地中国大陸江南地方の土を運ばせ、
日本国内の土とあわせて焼いたものと言われる。
観音像の右の岩には、松井石根大将自筆の「興亜観音縁起」の銅板が嵌め込まれている。
そこから5mほど右に行くと
ここには、歴史上のトンデモナイものが埋葬されている。
・七士之碑
・大東亜戦争殉国刑死一〇六八柱供養碑
・大東亜戦争戦没戦士菩提
所謂「A級戦犯」として処刑された七名の遺骨が埋葬されている。
※陸軍大将松井石根は東京裁判でA級戦犯容疑で起訴されて有罪判決を受けたが、「a項-平和に対する罪」では無罪であり、訴因第55項戦時国際法又は慣習法に対する違反罪。で有罪となったため、実際にはB級戦犯(BC級戦犯参照)である。 (wikipediaから)
1948年12月23日 巣鴨にて絞首刑とされた7人の遺体は横浜に運ばれ、
久保山火葬場にて荼毘に付された。
※久保山火葬場 WEB上で横浜郊外と記載された記事があるが
久保山は横浜市西区 横浜のど真ん中です。
ウチのお墓も久保山にあり、親族はここで火葬にされてます。
遺骨の類は遺族には引き渡されず、
東京湾に破棄されたと言われている。
遺物があると偶像崇拝の懸念があるためだろうか
近年のアルカイダ ウサマビン・ラディンも遺体は人知れず処分されています。
これが合衆国の伝統でしょうね
火葬に付したのち遺骨を入れ物に納める際、
大雑把な合衆国の兵隊のこと、遺骨の細かいものは納めず
火葬場の廃棄処理穴に捨てられたようであった。
これを見逃さなかったのが、火葬場の場長と弁護人関係者は捨てられた遺骨の残滓を
闇夜に紛れ収集して、暫くの間隠匿し
この伊豆の地、七士之碑のもとにに埋葬されたとのことです。
※私の疑問、7人の遺体は何故、巣鴨プリズン(今のサンシャイン60)から、
遠く離れた横浜久保山火葬場まで移送したのか、
都内で火葬できなかったのかな
解る方いれば教えていただきたいものです。
横浜港なら船がすぐ出せて、海に廃棄し易いからかな、
合衆国には骨壷だとかはなさそうなんで、代わりとなるのはアーモ缶ぐらいか
どうせ米兵のことだから、東京湾まで出て行かず、
横浜港のハズレのほうに投げこんだかもしれない。
そうすっと、金属探知機で発見出来るかのもしれない
9月のまだ暑かった頃、私が山を登って行くと、
ひょっこりと年配の尼僧が現れ、由来をガイドよろしく説明してくれました。
またお堂に案内され、寺務所で麦茶まで出していただいました。
盆栽SRで熱海まで行ったんですが、
バイクの画像無し、美味いもの無し、
全くピストンだけのツアーでした。
最後に、素焼きの観音像 昭和史 地元の久保山火葬場を
結び付けた書籍 デービット・バーガーミニ著
「JAPAN'S IMPRIARL CONSPIRAY」(天皇の陰謀)
翻訳書は既に絶版となってます。
素焼きの観音様とは渋い。熱海近辺は混むのでなかなか観光に
行けないのが・・・。A級戦犯だからと言って罪が大きいわけでは
ないんですよね。確かに区分の基準もアメリカンな感じだったり。
by tai-yama (2016-10-20 23:55)
> tai-yama さま 熱海周辺だけだと走り足りませんが、渋滞を嫌ってピストンで早々帰宅しました。
by deepredcocktail2 (2016-10-21 12:17)